東京地方裁判所 昭和50年(ワ)857号 判決 1980年3月10日
原告 庄司健嗣
原告 庄司順子
右両名訴訟代理人弁護士 島田隆英
同 磯部達子
同 船尾徹
同 村野守義
同 篠原義仁
同 村野光夫
同 飯田幸光
同 大国和江
同 原田敬三
同 白垣政幸
被告 株式会社ワンビシ産業
右代表者代表取締役 樋口捲三
右訴訟代理人弁護士 芦苅直巳
同 久保恭孝
同 芦苅伸幸
同 星川勇二
主文
一 被告は原告庄司健嗣に対し金一九六六万八九八三円及び内金一七八六万八九八三円に対する昭和四九年八月二九日から、内金一八〇万円に対するこの判決確定の日から各支払済まで年五分の割合による金員、原告庄司順子に対し金一六五万円及び内金一五〇万円に対する昭和五〇年三月五日から、内金一五万円に対するこの判決確定の日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。
四 この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告庄司健嗣に対し金二億九九九三万一九六四円及びこれに対する昭和四九年八月二九日から支払済まで年五分の割合による金員、原告庄司順子に対し金三四六〇万円及びこれに対する昭和五〇年三月五日から支払済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
被告は全国三五か所にガソリンスタンドを有し、主として自動車用ガソリンの販売等を業とする株式会社であり、原告庄司健嗣は昭和四〇年一月被告に入社し、後記の休業に至るまでガソリンスタンドで給油等の業務に従事していた者であり、原告庄司順子はその妻である。
2 原告庄司健嗣の症状
(一) 原告庄司健嗣(以下単に「原告」ということがある。)は被告の業務に従事中に四アルキル鉛中毒症にかかり、休業せざるをえなくなった。
(二) 四アルキル鉛の一種四エチル鉛は自動車のエンジン用ガソリンのアンチノック剤として適しているため使用されるようになったが、それを製造する業務に従事する作業員、ガソリンに混合する業務に従事する作業員、誤って飲んだ者、四アルキル鉛を添加したガソリン(以下「加鉛ガソリン」という。)で活字を洗う者などのうちに、精神異常を呈する者が発生したため、四アルキル鉛は、中枢神経をおかす有毒物質として、毒物及び劇物取締法で特定毒物に指定され、ガソリンに混入する場合には、その分量、着色表示、加鉛ガソリンの用途制限など厳しい法規制がなされている。
(三) 四アルキル鉛中毒症の症状は次のとおりである。
(1) 四アルキル鉛は有機化合物であり、脂肪、油に溶けやすく、常温で揮発しやすいので、皮膚、呼吸器からも吸収され、また飲みこめば、消化器からも吸収される。そのため脂肪に富む脳、脊髄に三エチル鉛の形で多く蓄積され、中枢神経がおかされ、精神症状、神経症状が多様にあらわれる。すなわち、不眠や悪夢をみたり、いらいらした気分になり、物事に過敏になって落着きがなくなる。頭痛、頭重がして、食欲不振となり、嘔吐する。そのため体重が減り、疲れやすく、貧血になることもある。
(2) 大量に吸収した場合には、一、二日間の鎮静期間があった後、急激にあばれ出し、うわごとをいったり、うろつきまわったりする興奮状態があらわれる。さらに、高笑いをしたり、絶叫したりするようになり、ベッドにくくりつけなければならなくなり、ついには食事もとらず、もがきまわり、昏睡状態となって、全身けいれんをおこし、衰弱し、一週間か一〇日くらいで死亡する。発熱四〇度にも及ぶ者、著しく体温降下する者、腹痛、下痢などをおこすもの、言語がうまくしゃべれない者、記憶を喪失し、両親兄弟を忘れてしまう者など発現形態は多様である。
(3) 急性中毒症で死亡を免れた場合には、亜急性、慢性に移行し、また、少量、継続的に体内に侵入した場合には、徐々に固有の症状がおこってくる。特有の症状は、精神症状と自律神経症状で、まず、頭痛と頑固な不眠に悩まされ、そのため不安と興奮がつのり、更に進むと、幻覚、妄想、恐怖感に変わり、始終落着きがなくなる。このような精神症状と平行して、顔面蒼白、徐脈、血圧低下、低体温などがみられる。神経症状としては振顫、筋けいれん、舞踏病様運動、筋脱力などがあげられ、一般症状としては、倦怠感、嘔気、嘔吐、下痢などの胃腸障害が主なものとされている。
(4) その他、これまでの中毒症でみられる主な症状としては、幻覚、幻聴、視野狭さく、平衡障害、歩行障害、腱反射亢進、便秘、腹部・頸部・関節部の疼痛・痒感、腰から下のしびれ感、記銘力低下、癲癇様けいれん発作、片足立障害などがあげられる。
(四) 原告の発病の経過及び症状の内容は次のとおりである。
(1) 昭和四二年春ころから、後記の諸症状が発現し、浅草中央病院で、盲腸とかテレビの見すぎではないかといわれた。同年七月一日から一か月間メニエル氏病と診断され、安部病院に入院した。その後も一向に回復せず、二、三の病院に入院し、同年一〇月からは東京医科歯科大学附属病院に通院し、翌四三年一月末から約二か月間、メニエル氏病、偏頭痛等の診断の下に同病院に入院した。その後昭和四四年夏ころにかけて厚生年金病院など数か所の病院に通院したが、症状は全く好転せず、同年一〇月からは仙台の安田病院、国立仙台病院に通院し、昭和四五年二月はじめから一か月余癲癇との診断で同病院に入院した。以後も昭和四六年はじめにかけて数か所の病院に通院したが全く回復しなくて、一層悪化した。同年二月一二日東京都文京区の氷川下セツルメント病院で山田信夫医師(以下「山田医師」という。)に慢性四アルキル鉛中毒症と診断された。四月一八日から同年三月一七日まで及び同年四月一一日から同年六月二九日まで同病院に入院し、現在も通院中である。その間住所の近くの恩田病院で治療もうけ、他にマッサージも継続している。
(2) 原告の主な症状とその具体的なあらわれ方は次のとおりである。
① 主な症状として、頭痛、頭重がひどく、立っていることも坐っていることもできなくなる。頭痛のひどいとき、乗物に乗ったとき、自動車の排気ガスを吸ったときなど嘔気がおこり、嘔吐することもよくある。まためまいがよくおこり、耳鳴りがし、睡眠薬をのんでも眠れないような不眠、悪夢があり、食欲は著しく不振である。その他、肩・首のこり、両下肢の麻痺、筋肉痛、全身に痛みが移動したり、脱力感、けいれんがあり、時々あざのようなものがでる。更に、思考力、記憶力が低下し、著しく怒りっぽくなり、自分を見失い、人にやたらに当たることがある。文章をまとめることも、新聞も読むことができず、しゃべろうとしても呂律がまわらず、言葉が出てこなかったこともある。重要なものを要約すれば、両下肢の不完全麻痺が著明に認められ、言語障害があり、癲癇と表現されるほどの激しい中枢神経系の障害があり、四アルキル鉛中毒症に高頻度に出現する不眠、食欲不振、嘔気、めまい、頭痛、蒼白、筋力低下、振顫、悪夢等の症状が頑固に続いており、常時高度の尿中コプロポルフィリンを証明し、好塩基点赤血球が出現している等である。
② これらの症状は、日常生活の中で次のような行動、状態としてあらわれる。アパートの自分の部屋にいて、前を通る人の足音やせきばらいにも腹をたてる。道路や乗り物で、ぶつかったり、目が会っただけでも、すぐ喧嘩を売るような態度をとり、何度かとめられ、現に喧嘩したこともある。半ば無意識のような状態でふらりと家を出て、喧嘩をして来たり、子供を連れて散歩の途中喧嘩してパトカーで警察に連れて行かれたことがあった。人と話をしていても、すぐ腹が立ち、つっかかって行くので人と話をするのが怖くなる。また相手の話がよく理解できない。食事中におきているのが辛くなり、途中でしばしば横になって休む。病院への通院も、途中電車を二、三度降りて休み休みでなければできない。親、親類、友人の来訪をいやがり、断わったこともある。歯をみがくときはいつも嘔気がし、時々嘔吐する。昔のことはよく覚えているのに反し、最近のことはあまり覚えていない。これらのことは日常生活上のあらわれの一端で、常時妻が注意していないと危険な状況にある。
(五) 原告の右症状が四アルキル鉛中毒症に該当する理由は次のとおりである。
(1) 四アルキル鉛中毒症か否かを判断するについて重要なことは、患者に、(三)記載の症状のうち一定程度の症状が出現しているかどうかであり、慢性中毒症では、更に、その一定の出現した多くの症状が頑固に継続しているかどうかである。すなわち、患者の症状を全体的に見て判断すべきもので、特定の具体的症状のみをとりあげることは意味がない。また、患者に、仮に、四アルキル鉛中毒症とは全く矛盾する症状があったとしても、他の病気を併発していることもありうるから、それのみで否定するのは非科学的であり、その特異な症状の原因を究明しなければならない。
(2) 原告の前記症状は四アルキル鉛中毒症の症状と極めてよく一致している。
(3) 両下肢の不全麻痺が著明に認められる点につき、被告は、四アルキル鉛中毒症ではこれを認めた報告例はないと主張するが、筋肉の麻痺は神経の障害からもたらされたものであり、中枢神経障害が四アルキル鉛中毒症の基本的な障害が一つであることから、何ら矛盾しない。
(4) 言語障害が認められる点につき、被告は四アルキル鉛中毒症に特異的、特徴的でないと主張するが、他の事例でも報告されているし、特異的でないからといって四アルキル鉛中毒症でないとはいえない。
(5) 癲癇と表現されるほどの激しい中枢神経系の障害の点につき、被告は、四アルキル鉛中毒症の一般の所見と一致せず、むしろ、潜在性癲癇を思わせるものであると主張するが、癲癇のうち症候性癲癇は四アルキル鉛中毒症と矛盾しない。すなわち、癲癇は、真性癲癇と症候性癲癇とに分けられ、前者はほとんど一〇〇パーセント遺伝によるが、後者は外傷や有毒物質によっておこるもので、発作の状況や脳波検査のみではいずれか判断できない。原告は遺伝的要素や脳波検査により真性癲癇は否定されているので、癲癇のような発作があったとしても、四アルキル鉛中毒症であることを否定することにはならない。
(6) 常時高度の尿中コプロポルフィリンを証明するとの点及び好塩基点赤血球の出現の点についても多くの実例が報告されている。
(7) 四アルキル鉛中毒症に高頻度に出現する不眠、食欲不振、嘔気、めまい、頭痛、蒼白、筋力低下、振顫、悪夢等の症状が頑固に続いている点についても多くの実例がある。
(8) 被告は、血中鉛、尿中鉛量について、業務上外認定基準に達しないし、多くの報告例の量に比して疑問であると主張する。しかし、四アルキル鉛中毒症の認定基準はなく、鉛中毒の認定基準には、四アルキル鉛は除かれている。また、原告が実際に検査を受けたのは暴露直後ではなく、相当期間経過後であり、それでも尿中鉛は一リットルにつき七四マイクログラム(誘発では一二八マイクログラム)も検出された。
(9) なお、原告がメニエル氏病であると診断されたことはあるが、メニエル氏病では、めまい発作に必ず耳鳴り、難聴を伴なうし、中枢神経症状は否定されているのに対し、原告には聴力障害がないし、中枢神経症状が多くあらわれているから、メニエル氏病であるとの診断は誤りである。
3 因果関係
(一) 原告は小学生時代から一貫して健康であったし、被告に入社する前に四アルキル鉛を取扱う仕事についたことはなかった。
(二) 被告の営業しているガソリンスタンドでは一部を除いて大部分は加鉛ガソリンを取扱っており、従って原告は常時加鉛ガソリンを扱っていた。また、ガソリンスタンドでの仕事以外では、四アルキル鉛の暴露を受ける環境で生活していなかった。
(三) 原告が加鉛ガソリンに暴露される機会は次のとおりである。
(1) 被告のガソリンスタンドでは、防水性の手袋、保護衣の備えつけがないので、加鉛ガソリンとの接触を防止することができなかった。また、食堂が設置されておらず、更に作業員不足のため、事務所で作業衣のまま食事をとっていた。休憩、宿直施設が十分でなく、浴室、シャワー室が完備されていないので、加鉛ガソリンと接触した身体を洗わずに、作業衣のまま、あるいは作業衣を狭い部屋においたまま就寝し、汚れた布団は長期間使用された。
(2) パンク修理でタイヤのチューブの汚れを除去するときや自動車の軽整備や部品工具の洗浄作業、洗車作業などには加鉛ガソリンを使い、素手で扱った。手足など身体を洗うときも加鉛ガソリンを使ったことがある。
(3) 給油タンクにタンクローリから加鉛ガソリンを注入する際にこぼれて給油口附近にたまったガソリンを、素手で容器を使って汲み出した。また、給油タンクの貯蔵量を測定するとき、素手で検尺棒を扱った。
(4) 被告のガソリンスタンドでの給油作業は、原告が従事していた当時には、ノズルが手動式であったため、作業員が満タンになったか否かを見るのに給油口をのぞきながらしていたので、加鉛ガソリンの飛沫を避けることができなかった。殊に、給油口の小さい軽自動車、ライトバンやエアー抜きの悪い自動車の場合には飛沫が作業員の顔、身体、作業衣にしばしば直接付着した。原告は、このような飛沫が眼に入り、眼科医に三度診療を受けた。
(5) スタンド式計量機のないノンスペース式の給油作業では、給油ホースを上から引きおろす際、前に給油したときにホースに残った加鉛ガソリンが落ちこぼれてくることがあった。
(6) 給油作業で、蒸発している加鉛ガソリンを吸入する機会が多い。
(7) 加鉛ガソリンをまちがえて給油し、これを入れかえるとき、加鉛ガソリンを入れた自動車の給油口に細いホースを入れて、そのホースを口で吸い、サイフォンの原理を利用して缶に取り出していた。ホースを口で吸うとき、飲みこむほどではないにしても、口の中に加鉛ガソリンが入った。
(8) リフト室でクリーナー作業に従事し、加鉛ガソリンの排気ガスが充満しているので、呼吸器から吸入した。
(9) 以上のとおり、原告の従事していた職場、作業は、呼吸器、皮膚、消化器等から四アルキル鉛の暴露を受ける危険なものであった。従って、被告の業務に従事中に、その取扱った加鉛ガソリンにより、四アルキル鉛中毒症にかかったというべきである。
4 被告の責任原因
(一) 被告は原告との労働契約上の安全保護義務に違反し、同人を四アルキル鉛中毒症に至らしめた。その義務違反の内容は次のとおりである。
(二) 劣悪な労働条件、職場環境
前項(三)のうち、(1)、(4)、(5)、(8)記載の加鉛ガソリン暴露はいずれも、被告が労働者の安全を保護するため、保護具を備えつけ、洗浄に加鉛ガソリンの使用をやめさせるなど、適切な措置を講ずべき義務があるのに、これを怠ったために発生した。被告は右以外にも、勤務時間、休憩時間、休日、給与、寮などの設備において劣悪な条件、職場環境であった。
(三) 安全衛生教育の欠如
加鉛ガソリンの有毒性、危険性を労働者に周知徹底させることは、日常加鉛ガソリンを取扱う労働者を四アルキル鉛との接触から避けさせる最も基本的な措置であるが、被告は安全衛生教育を全くせず、労働者を加鉛ガソリンの有毒性について無知の状態に放置した。原告は、被告に入社して、出勤初日いきなり浅草千束のガソリンスタンドに配属され、作業服と靴を渡されて、何の説明、注意もなく、仕事につかされた。その後も安全教育を受けなかった。
(四) 健康診断の欠如
被告のように、生命身体に有毒、危険な加鉛ガソリンを日常取扱う職場においては、定期的な特殊健康診断をして、中毒症の早期発見に努める義務があるが、被告は胸部レントゲン検査以外に右のような診断をしなかった。
(五) 従って、被告は民法第四一五条または第七〇九条により、原告らに生じた後記損害を賠償する義務がある。
5 損害
(一) 原告庄司健嗣の逸失利益
原告庄司健嗣は四アルキル鉛中毒症によって労働能力を一〇〇パーセント喪失した。同人は昭和五〇年一月当時満三一才で、その後三六年間就労可能である。昭和四九年三月までは月額八万四三〇〇円の賃金を得ており、被告において同年四月一日から平均三〇パーセントの昇給があったから、少なくとも月額一〇万九五九〇円に昇給したはずである。更に、被告において、従来少なくとも夏期二か月分、冬期三か月分、合計五か月分の一時金が支給されたから、昭和四九年の一時金は五四万七九五〇円、同年の年間総収入は一七八万七一六〇円である。ところで、昭和五〇年以降の逸失利益は、右の年間総収入額を基礎にし、毎年の昇給を考慮すべきであるが、被告の給与規定、日本の年功序列型賃金体系、経済成長、物価及び賃金の上昇を合わせ考慮し、今後少なくとも毎年一〇パーセントの昇給が見込まれるから、一七八万七一六〇円を基礎に三六年間一〇パーセント上昇の複利計算をし、ホフマン式計算法により法定利率年五分の割合による中間利息を控除すると、別表(一)のとおり二億四五九三万一九六四円となる。
(二) 原告庄司健嗣の慰謝料
交通事故の死亡と比較してまさるとも劣らないし、労働災害の性質を考慮し、三〇〇〇万円が相当である。
(三) 原告庄司順子の看護料
一か月五万円として昭和五〇年以降三六年間で二一六〇万円
(四) 原告庄司順子の慰謝料
一〇〇〇万円
(五) 弁護士費用
原告庄司健嗣二四〇〇万円
原告庄司順子三〇〇万円
(いずれも本判決確定時に支払う約である。)
6 まとめ
以上の次第で、被告は原告庄司健嗣に対し、右二億九九九三万一九六四円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四九年八月二九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告庄司順子に対し右三四六〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五〇年三月五日から支払済まで同率の遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因事実に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2のうち
(一) (一)の事実は否認する。
(二) (二)の事実は認める。
(三) (三)の事実は認める。ただし、少量を長期間にわたり暴露されたような慢性の場合は、精神症状を中心とする全身症状が頑固に継続するとの点は争う。
(四) (四)の(1)のうち、原告が昭和四三年七月頃、約一か月間メニエル氏病で安倍病院に入院したこと、同年一〇月頃から東京医科歯科大学附属病院に通院し、昭和四四年一月末頃から約二か月間メニエル症候群等の病名で同病院に入院したこと、原告ら主張の頃、主張の病名で約一か月間国立仙台病院に入院したこと、原告ら主張の頃、氷川下セツルメント病院に入院し、山田信夫医師より四アルキル鉛中毒症と診断されたことは認める。その余の事実は不知。(四)の(2)のうち、原告が不眠、頭痛、めまい、吐き気を訴えていたことは認め、その余の事実は不知。
(五) 原告の症状を四アルキル鉛中毒症と診断するには次のような疑問がある。
(1) 四エチル鉛製造作業などに比べて、ガソリンスタンド勤務者が鉛中毒にかかる可能性は乏しく、米国でも鉛の暴露は無視しうると報告されているし、日本では毒物及び劇物取締法施行令により、昭和四〇年当時にはガソリンに混入される四アルキル鉛は〇・〇八パーセント以下、昭和四五年以降は〇・〇三パーセント以下で、被告のガソリンスタンド従業員について施行した検診の結果でも異常はなかった。
(2) 原告は昭和四五年国立仙台病院で、光――メジマイド賦活法によって三五ミリグラムくらいから棘波徐波結合の異常脳波が出現し、一〇〇ミリグラムで全身けいれんを生じて、潜在性癲癇と診断された。四アルキル鉛中毒症であるかどうかの診断に当たっては、癲癇または精神病もしくは神経衰弱等の私的原因による疾病との鑑別に特に留意する必要がある。四アルキル鉛中毒症では、光――メジマイド賦活法によらない通常の脳波検査で除波等の異常波を認めた報告があるが、原告のように通常の脳波検査では異常所見が認められず、光――メジマイド賦活法により一〇〇ミリグラム以下で棘波徐波結合などの異常波が出現したというのは、右の報告例の所見と一致しない。
(3) 原告は、両下肢の伸筋の不全麻痺が著明に認められるとされるが、これは無機鉛中毒症の代表的症状であり、四アルキル鉛中毒症ではこれを認めた報告例はない。
(4) 言語障害は四アルキル鉛中毒症に特異的特徴的なものではない。
(5) 常時高度の尿中コプロポルフィリンを証明するという点は、無機鉛中毒症では特徴的であるが、四アルキル鉛中毒症ではみられず、これは両者の相違点として重視される特徴である。
(6) 好塩基点赤血球の出現も右と同様である。
(7) 四アルキル鉛中毒症にかかった場合、食欲不振、嘔気、嘔吐は四アルキル鉛の暴露から離れると、比較的早く回復し、不眠がかなり持続する症状であって、暴露中止後長期間にわたって、これらの症状がそろって持続することはない。そうだとすれば、原告が四アルキル鉛中毒症にかかっているために右のような症状が頑固に続いているということについては、更に検討の必要がある。
(8) 四アルキル鉛中毒症の患者は、尿中鉛、血中鉛量が顕著に増加するのが一般であるのに、原告の場合は、業務上外認定基準にも達しない。
(9) 原告は耳鳴りを訴えていたから、メニエル氏病を否定することはできず、また卒倒発作はメニエル氏病の症状として矛盾なく説明できる。
3 請求原因3のうち
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)のうち、被告のガソリンスタンドで加鉛ガソリンを取扱っていたことは認める。
(三) (三)につき、(1)の保護具を備えていなかったことは認める。(2)、(3)の事実は否認する。(4)のノズルが手動式であったことは認めるが、給油口に顔を近づけなければ給油できないものではない。(5)のノンスペース式を使用していたことは認めるが、ノズルは上向きのまま上下するから、ガソリンが残ってこぼれるということはない。(7)の場合、ガソリンを入れかえるには自動車のタンクの下部のドレインコックをあけて抜き取ることになっている。原告がホースを口にくわえて吸ったとしても、設備がないからではなく、手取り早いからである。(8)のリフト室に加鉛ガソリンの排気ガスが充満することはない。
4 請求原因4のうち、
(一) (一)の事実は否認する。
(二) (二)の事実は否認する。
(三) (三)につき、被告は、新入社員を本社に集めて、一週間くらいのスケジュールで教育しているが、その職務知識教育の中で、ガソリンの危険性、毒性にふれている。配属先のガソリンスタンドでも、加鉛ガソリンには毒性があるので、着色してあることを教えたし、危険物取引主任者免許を取得するために原告に与えたテキストにも、加鉛ガソリンの毒性が記載してあるので、原告ら主張のような安全教育の欠如はない。
(四) (四)につき、被告が当時特に定期的な四アルキル鉛中毒症についての特殊健康診断を実施しなかったことは認めるが、このような特殊健康診断の実施は、労働安全衛生法、同施行令などによって義務づけられていないから、被告に対し、異常の早期発見に努める義務を課すことは酷である。
5 請求原因5のうち
(一) (一)のうち、原告庄司健嗣が現在就労困難で、日常生活上も不便をきたしていることは認めるが、それが四アルキル鉛中毒症によることは争う。原告庄司健嗣の年令、被告において、昭和四九年四月に平均三〇パーセントの昇給があったこと、ここ数年は年間五か月分相当の一時金を支給したことは認めるが、その余は争う。なお、右の一時金の算定基礎となるのは、一か月に支給される本給と役職手当とを加えたものであり、この五か月分相当である。被告が原告庄司健嗣に賃金を支給したのは昭和四六年一二月までであり、その後は労災の休業補償給付金とその減収に対する補助を合わせて支給しているもので、昭和四八年四月から昭和四九年二月一一日までの間の月額は八万四三〇〇円である。原告庄司健嗣が六七才まで就労可能だとしても、被告には満六〇才の定年退職の定めがあるから、就労可能年数はそれまでとすべきである。再就職が可能であるとしても、定年後の収入は定年前の給与に比して相当減少する。更に、毎年一〇パーセントの昇給、年間五か月分の一時金が将来も支給されると考えること、ホフマン式計算法をとることはいずれも相当ではない。
(二) (二)ないし(四)はいずれも争う。
(三) 原告らが弁護士を委任したことは認めるが、その余は争う。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
そこで、原告の症状及びそれが四アルキル鉛中毒症に該当するかについて判断する。
請求原因2につき、(二)及び(三)のうち、四アルキル鉛を少量、長期間にわたり暴露されたような慢性の場合には、精神症状を中心とする全身症状が頑固に継続するとの点を除き、その余の事実は当事者間に争いがない。更に、請求原因2の(四)のうち、原告が昭和四三年七月頃、約一か月間メニエル氏病の疑いで安倍病院に入院したこと、同年一〇月頃から東京医科歯科大学附属病院に通院し、昭和四四年一月末頃から約二か月間メニエル症候群等の病名で同病院に入院したこと、原告ら主張の頃、主張の病名で約一か月間国立仙台病院に入院したこと、原告ら主張の頃、氷川下セツルメント病院に入院し、山田医師より四アルキル鉛中毒症と診断されたこと、原告が、不眠、頭痛、めまい、嘔気を訴えていたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
右当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。
原告は、昭和四三年七月中旬、ガソリンスタンドで作業中に激しい頭痛がおこり、浅草中央病院に三日間通院し、内服薬、注射の治療を受け、その時は回復したものの、同月末にやはり作業中に前回よりも激しい頭痛、嘔気、めまい等がおきて、安倍病院で治療を受けたがよくならないので、入院し、精密検査の結果メニエル氏病と診断された。その症状は、全身の脱力感が強い、食欲がない、足がだるく、横になっていたい状態にある、光がまぶしい、いらいらして、他人に意味もなく腹を立てる、しかし、急に陽気になってはしゃいだりする、尿の回数が多くて、ひどいときには五分おきにトイレに行くほどである、眠れなくて、悪夢を見る、頭痛、吐気、嘔吐、目まいがする、肩がこる、思考力・記憶力が低下する、意識のもうろう状態が発作的にあらわれるというものであった。発病前は愉快な方の性格であったが、家庭で妻子にあたりちらすようになり、年中けんかをするし、妻から見れば、症状が長引いたので発作がおきるのが事前にわかるようになったし、外でけんかをしてパトカーや救急車の世話になることがあり、夜中に、発作的に外出することもあった。東京医科歯科大学附属病院では、メニエル氏症候群、偏頭痛の疑いで、内科、耳鼻科、精神科、脳外科等で精密検査を受けたが、症状を裏付ける所見はないとされ、担当医から、職業病であるかもしれないから、空気のよい所へ転地するように勧められて、昭和四四年九月ごろ、被告会社の仙台営業所へ転勤した。しかし、そこでも発作で倒れ、国立仙台病院に入院したが、同病院での検査による脳波所見は、ラボナール二錠投与後の光―メジマイド賦活で、三五ミリグラム位から棘波徐波結合が出現し、一〇〇ミリグラムで全身けいれんが出現し、潜在性癲癇の疑いがもたれた。その後、病状軽快ということで同院を退院して再び上京し、被告の浅草営業所で勤務していたが、同じく癲癇の疑いにより昭和四五年四月二四日から神経科土田病院に通院加療を受け、昭和四六年二月一二日及び同年三月五日の脳波検査では正常と異常の境界線上にあると判定され、同年四月九日及び同年一〇月二一日の検査では正常と判定された。その間、同病院精神科の遠藤医師の紹介によって、同年二月一二日氷川下セツルメント病院で山田医師の診察を受け、他覚症として、どす黒い顔色をして、言語障害顕著、手肢のふるえが顕著、両下肢伸筋不全麻痺著明、膝蓋腱反射両側亢進の諸点が観察され、自覚症として、殺されるような悪夢を多く見るし、いつも酒に酔った感じで、気分がいらつき、怒りっぽく、他人と喧嘩しやすく、頭痛、嘔気、不眠、めまい、全身痛、船上動揺感、手足のしびれ、胸部圧迫感、腹部痛、全身倦怠感、頻尿があるとされた。同日から同年六月二五日までの間の諸検査の結果、血中鉛、尿中鉛、尿中コプロポルフィリン、好塩基点赤血球につき、別表(二)のとおり検出され、山田医師は右各結果を総合して、特に、(一) 両下肢の不全麻痺が著明に認められること、(二) 言語障害が認められること、(三) 癲癇と表現されるほどの激しい中枢神経系の障害があること、(四) 常時高度の尿中コプロポルフィリンを証明すること、(五) しばしば高度の血中鉛濃度を示すこと、(六) 好塩基点赤血球の出現があること、(七) 不眠、食欲不振、嘔気、嘔吐、めまい、頭痛、蒼白、筋力低下、振顫、けいれん、悪夢等の各症状が頑固に続いていること、以上の諸点を理由にあげて、四アルキル鉛中毒症であると診断した。
二 被告は、原告の右症状につき、これを四アルキル鉛中毒症であると診断することには種々の疑問点があると反論するので、次に順次検討する。
1 まず、四アルキル鉛を少量、長期間にわたり暴露されたような慢性中毒の場合は、精神症状を中心とする全身症状が頑固に継続するかという問題について検討する。
《証拠省略》によれば、聖マリアンナ医科大学公衆衛生学山村行夫教授(以下「山村教授」という。)らは四アルキル鉛については「無機鉛のように微量長期暴露による慢性中毒に関する観察例は報告されていない。」「暴露から離れて症状が一度回復すると後遺症なしに治癒するとする報告が多い。」と論じているが、同時に「四エチル鉛は高濃度暴露で急性中毒が生じ、低濃度のくり返し暴露では亜急性中毒が報告されている。」とも記しているので、本件が、少量で長期暴露によるものか、低濃度のくり返し暴露によるものかいずれであるとも断定できないのであるし(因果関係については後述する。)、慢性中毒例は報告されていないというにとどまり、その可能性の存在を否定しているとはいえず、又、後遺症についても、暴露から離れると必ず回復すると断定しているのではないうえ、《証拠省略》によれば、横浜市立大学医学部神経科学教室の市川康夫医師は、亜急性四エチル鉛中毒の精神医学的ならびに神経学的観察に基づき、六か月後に至るも、自発性減退、意志持続性低下、刺戟性、記銘力低下などの欠陥状態を呈し、神経学的にも病的知見を呈する者がある旨の報告を昭和三六年一〇月発行の「横浜医学」第一二巻四号所収の「四エチル鉛中毒の精神医学的ならびに神経学的観察」と題する論文で掲載していることが認められ、又、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一八号証(山村教授作成に係る「ガソリンスタンド従業員の四アルキル鉛中毒症罹患の可能性についての医学的考察」と題する書面)によれば、山村教授は、同書面において、加鉛ガソリン中毒の診断基準として、暴露を中止すると症状は回復し、後遺症はみられないことを挙げているが、同書面において引用され、参考文献2として添付されているH・A・ワルドロン、D・ステフェン共著「潜在性鉛中毒」一一四頁以下には「初期の研究者は、ガソリンに添加されたアルキル鉛の使用による長期的影響は考えていなかった。また、現に若干の権威者は慢性有機鉛中毒の存在を否定している(文献引用略)。しかしながら慢性神経症状のもつもので、無機鉛中毒の自他覚症状に欠けており、四エチル鉛の長期間暴露によると記載されている例が文献上多数存在する(文献引用略)。」と記載されていることが認められ、更に《証拠省略》によれば、熊本大学医学部徳臣晴比古教授は慢性四エチル鉛中毒の存在を肯定していることが認められるのであって、慢性(又は亜急性)と見られる症状が継続していることのみによって、四アルキル鉛中毒症でないとはいえない。
2 次に、癲癇との鑑別の点について検討する。
国立仙台病院の脳波検査で、光―メジマイド賦活法によって、三五ミリグラム位から棘波徐波結合が出現し、一〇〇ミリグラムで全身けいれんが出現したことは前記のとおりであり、《証拠省略》によれば、原告は仙台で意識を失なって倒れたことがあるほか、それ以前に卒倒発作をおこしたことがあるものと認められる。
そして、《証拠省略》によれば、癲癇は、突発性、一過性の精神、神経機能障害をきたす症候群で、しばしば意識障害を伴うものであり、明らかな原因がないもの(真正癲癇)と、原因がはっきりしているもの(症候性癲癇)とに分けられ、後者の原因としては、頭部外傷、腫瘍、炎症、変性、血管障害、先天性代謝異常性などがあること、臨床所見としては、大発作は、前兆として幻覚、悪心、嘔吐、不随意運動が現れ、続いてけいれん発作、発作後の睡眠が一連となる症状で、その他焦点発作では運動性発作と感覚性発作があること、診断に最も重要な検査は脳波で、特徴は発作性律動異常で、大別すると、スパイクアンドウェーブ群、棘波群、発作性徐波群があること、以上の事実が認められる。
ところで、《証拠省略》によれば、一般に、四アルキル鉛中毒症の症状には卒倒発作はないものと理解されていることが認められるところ、証人山田信夫(第二回)は、症候性癲癇の原因には各種の中毒も含まれ、癲癇と四アルキル鉛中毒症とは矛盾しないし、四アルキル鉛中毒患者が卒倒発作をおこしてもおかしくないと供述する。
そこで、癲癇の疑いについて考えてみるに、癲癇の前記諸症状に鑑みると、国立仙台病院での脳波所見、卒倒発作をおこしたことは癲癇の疑いを抱かせる理由となりうるが、しかし、癲癇と四アルキル鉛中毒症が両立しうるか否かはさておき、原告の症状を癲癇だけによって説明することには次のような疑問がある。
第一に、卒倒発作の具体的状況が明らかではない。前記甲第一号証には「低血圧、頭痛、卒倒発作あり。」との記載があるのみで、右の記載は、荒木医師が原告の申告によってしたものと推測されるが、原告は、同本人尋問(第一回)において、その状況を記憶していないと供述し、仙台病院に入院する前の発作も同様に目撃者がいることを認めうる証拠はない。従って、癲癇の典型的症状としての卒倒であるのか、他の意識障害であるのか明らかではない。
第二に、原告の精神、神経症状は、前記のとおり、昭和四三年に発生し、その後、波はあるものの、継続的にあらわれており、この点は、癲癇が一般的に突発性、一過性の精神・神経機能障害を来たす症候群であるとされていることは一致しないし、特に原告の不眠、悪夢、頻尿などの前記諸症状は癲癇のみによって説明するのは困難である。
3 次に、両下肢の不全麻痺の点につき検討する。
《証拠省略》によれば、アメリカのロバート・キホー博士(以下「キホー博士」という。)はI・L・O発行の「労働衛生と安全」第二巻及び米国医学会雑誌第八五巻で、山村教授他四名は昭和五〇年七月発行の別冊「産業医学」第一七巻第四号所収の「航空機用燃料タンク清掃作業において発生した四エチル鉛中毒」で、森崎英夫は昭和一三年発行の「精神神経学雑誌」第四二巻所収の「四えちる鉛中毒の臨床例」で、市川康夫は前記論文で、いずれも、四アルキル鉛中毒症には末梢神経炎(運動神経麻痺)は観察されなかったと報告していることが認められる。しかし、証人山田信夫の証言(第二回)によれば、原告の場合は、単なる末梢神経炎ではなく、下肢の筋力の脱力の症状があるのであり、また、右筋肉脱力の原因としては、筋肉を支配している脊髄の前角にある運動神経細胞が直接四アルキル鉛で障害を受けるためであることが、動物実験により確かめられていることが認められるので、右各報告の記載のみによっては必ずしも原告の両下肢の不全麻痺が四アルキル鉛中毒症の臨床所見として起こりえないものであると速断することはできない。
4 次に、原告の尿中コプロポルフィリンについての検査結果は前記のとおりで(別表(二)参照)、一リットルにつき、四八〇ないし九六〇マイクログラムから一九二〇ないし三八四〇マイクログラムで、平均して九六〇ないし一九二〇マイクログラムとなって、かなり高い数値を示している。
ところで、《証拠省略》によれば、山村教授は、昭和五〇年発表の前記論文で、いずれも死亡した二患者の症例をとりあげて、尿中コプロポルフィリンは正常または増加がなかったと報告し、《証拠省略》によれば、ヘルシンキ大学のヘルンバーグ博士は、一九七五年発行の機関誌「労働医学」において、「目立った所見として、ヘモグロビン合成系の代謝物質、とくにALA、コプロポルフィリン、ボルホビリノーゲンの尿中排泄増加が欠如している。これは、無機鉛中毒と四エチル鉛中毒の重要な相違点である。」と論じていることがそれぞれ認められるが、他方、前記乙第一二号証、第一四号証、第一八号証の参考文献6、甲第二二号証によれば、市川康夫は、前記論文において、死亡者を含む二七例のうち六〇・九パーセントに尿中コプロポルフィリンの増加を示す陽性者があり、死亡例においては七例中五人が陽性であったと報告し、東京医大の赤塚京治教授は、昭和四五年発刊の月刊誌「労働の科学」所収の「加鉛ガソリンに関する衛生学的問題点」において、戦時中製造工場で調査あるいは経験した症例を基に尿中コプロポルフィリンは二〇パーセントに陽性であったと報告し、山村教授も昭和四一年一〇月発行の日本衛生学雑誌第二一巻第四号所収の「写真オフセット印刷工場で見られた四アルキル鉛添加ガソリン中毒」において加鉛ガソリンでインキを拭き取る作業をしていた印刷工の患者六例のうち五人につき尿中コプロポルフィリンが陽性であったと報告していることがそれぞれ認められる。
以上の各報告について考えてみると、市川報告は二七例というかなり多数の患者を扱って検査したものであるから、客観性が高いと認められるところ、その中で約六〇パーセントの例で尿中コプロポルフィリン増加があったというのであるから、四アルキル鉛中毒と尿中コプロポルフィリン増加の相関関係は否定できないと同時に、これが増加しない患者も少なくないことを示している(その理由は明らかではない。)が、これに対し、山村教授の昭和五〇年の報告は、二例についての検査結果であるに過ぎず、又、同教授の昭和四一年の報告の事例につき何らふれられていないので、右報告のみによって断定的結論を下すことは困難であり、更に、ヘルンバーグ博士の前記報告は、具体的事例をあげていないので、市川報告、赤塚報告の結果に照らして、その結論をそのまま採用することはできない。従って、市川報告のとおり、四アルキル鉛中毒患者の尿中コプロポルフィリンは増加する例が多いが、増加しないこともあると判断するのが妥当であり、原告について、高度の尿中コプロポルフィリンがあるために、四アルキル鉛中毒症と診断することは疑問であるとの被告主張は失当であるといわなければならない。
5 血中鉛量、尿中鉛量について検討する。
《証拠省略》によれば、正常値の範囲につき、山村教授は、尿中鉛量では一リットル中三〇マイクログラム以下、血中鉛量では一〇〇グラム中三〇マイクログラム以下(乙第二号証の一に、一リットル中三〇マイクログラム以下とあるのは誤記と認める。)をその判定基準とし、名古屋市大医学部公衆衛生学教室の奥谷博俊教授は、尿中鉛量は一リットル中五〇マイクログラム以下を正常値、七九マイクログラムを正常値の上限、八〇ないし一四九マイクログラムを軽度の中毒症、一五〇ないし二四九マイクログラムを中等度の中毒症と、血中鉛量では一デシリットル中三〇マイクログラム以下を正常値、三九マイクログラムを正常値の上限、四〇ないし七九マイクログラムを軽度の中毒症、八〇ないし一一九マイクログラムを中等度の中毒症とそれぞれ判定し、キホー博士は、尿中鉛量では一リットル中一一九マイクログラム以下を正常値、血中鉛量では一〇〇グラム中二〇ないし五九マイクログラムを正常値としていることがそれぞれ認められる。
ところで、原告の尿中鉛量及び血中鉛量についての検診結果は前記のとおりであり(別表(二)参照)、これによれば、右検査期間中に尿中鉛量は、一リットル中七ないし七四マイクログラム、誘発後で三九ないし一二八マイクログラムを検出し、誘発後で二〇回の検診のうち一七回は五〇マイクログラムを超え、更にそのうち五回は八〇マイクログラムを超えており、また、血中鉛量は、一デシリットル中四ないし四七マイクログラム(四七マイクログラムの時の誘発値は六八マイクログラム)であり、三二回の検診のうち八回は三〇マイクログラムを超え、更にそのうち三回は四〇マイクログラムを超えていて、前記の各正常値を超過した数値が測定されたことが認められる。
もっとも、《証拠省略》によれば、前記市川論文において、米軍石油貯蔵所のガソリンタンクの清掃作業員約三〇名が昭和三三年夏に中毒症状をきたし八人が死亡した事故につき、死亡例七人のうち六人の血中鉛量は一〇〇グラム中それぞれ、七三、一二〇、七三、一二七、一〇五、二五五マイクログラム、平均一二五・五マイクログラムであると報告されていることが認められ、《証拠省略》によれば、右の数値よりも更に高い症例が多数あることが認められるから、原告の検診結果は、山村教授、奥谷教授の基準による正常値を超える回数はかなりあるものの、あまり高いとはいえず、奥谷教授の基準値によれば、軽度の中毒症に該当する程度であることが認められる。また、《証拠省略》によれば、ロンドンのミドルセックス病院のデヴィヅド・A・Kカッセルズ・E・C・ドッドスは、英国医学雑誌一九四六年度第二巻所収の「四エチル鉛中毒」なる論文において、「尿中鉛濃度は暴露の程度を知らせてくれる。もし、これが上記症状が表われている時に、一リットル中一〇〇マイクログラムより少ないならば四エチル鉛が原因とは考えにくい。一リットル中一五〇マイクログラムで中程度の症状が出るかもしれないが、一般には、このレベル以上である。そして、重症例では、一リットル中三〇〇マイクログラムか、それ以上である。」旨を報告していることが認められ、更に前記乙第一八号証の参考文献1によれば、米国国立研究会議医学部会大気汚染の生体作用委員会は、米国国立科学アカデミーが一九七二年に刊行した「鉛―大気中鉛の展望」において、右のカッセルズらの見解を踏まえて「アルキル鉛に暴露された作業者の場合も、また無機鉛に暴露された作業者の場合でも、尿中鉛が一リットル中一五〇マイクログラム以下に、血中鉛が一〇〇グラム中七〇マイクログラム以下に保たれていれば、作業者の健康は守られている。」と指摘していることが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、山村教授の報告例で、鉛暴露の二〇日後から一二一日後にかけて詳しく測定した患者について、尿中鉛量を一リットル中のマイクログラム数で示すと、二〇日後五八六、四一日後一一〇、五六日後一三〇、八〇日後七〇、九〇日後五〇、誘発後では三〇日後五二八、五〇日後二七九、八二日後一三〇、一〇九日後二一〇と減少傾向にあることが認められるうえ、前記各報告例における数値の多くは死亡者、急性中毒者のそれであるから、これと発症後約三年で測定した原告の右検診結果における数値を比較して一概に低いと判断することは必ずしも相当とはいえない。
6 次に、好塩基点赤血球について検討するに、被告は、四アルキル鉛中毒にあっては好塩基点赤血球の増加が認められない旨主張し、《証拠省略》によれば、カッセルズらは、前記論文において、「赤血球の好塩基性斑点は、普通はないし、これまでに述べた症例のいずれにもなかった。」旨報告していることが認められる。ところで、原告の検診における好塩基点赤血球数は前記のとおりであり(別表(二)参照)、一〇〇〇〇個につき一〇個または二〇個発見されている。しかし、《証拠省略》によれば、四アルキル鉛中毒患者では、これが全く発見されない例もあるが、木南正之・木本哲夫が岡山医学会雑誌六五・一一〇七所収の「四エチル鉛中毒症の二剖検例」で報告した例では一〇〇〇〇個につき(以下同)六〇個、前記米軍石油貯蔵所のガソリンタンク清掃作業員二七人中に五個以上の者が約四割、平均九・五個、市川報告では死亡者八人中六人にそれぞれ八個、一三個、二個、二個、七九個、山村教授の前記昭和四一年の報告では六人中四人にそれぞれ七個、九個、七個、四個が各確認された旨報告されているし、キホー博士は「低濃度暴露ではあるが、長期間(数か月)続いた例では、好塩基性斑点赤血球をみることがある。」としていることが認められる。従って四アルキル鉛中毒症に好塩基点赤血球がみられないとの被告の主張は失当である。
7 なお、被告は言語障害は四アルキル鉛中毒症に特異的特徴的ではないと主張し、その趣旨とするところは必ずしも明かでないが、《証拠省略》によれば、四アルキル鉛中毒症において構音障害、言語渋滞が発現することが認められるから、被告の右主張は失当である。
8 次にメニエル氏病の疑について検討するに、前記甲第三一号証によれば、メニエル症候群は、反復性のめまい発作、耳鳴、難聴に悪心、嘔吐を伴う一連の症候であり、病因は不明で定説はなく、迷路内の急性水腫、迷路内血管の異常収縮、アレルギー、内聴動脈の異常などがあげられ、なお、中枢神経症状は現われないものであることが認められるところ、右症状は、原告の症状の一部と類似し、前記のとおり原告はかつてメニエル氏病と診断されたことがあるものの、メニエル症候群の特徴である難聴は原告に現われていないし、精神、神経症状を中心とする原告の諸症状はメニエル症候群で説明することは困難であるといわなければならない。
9 《証拠省略》によれば、被告はその社員の鉛関係の健康診断を他の専門機関に依頼して実施し、その結果は概ね次のとおりであることが認められる。
昭和四八年二月及び三月山村教授による検診では、合計一八三名について、尿中鉛量は最高が一リットル中二二・八マイクログラム、血中鉛量は最高が一〇〇グラム中一八・三マイクログラム、同年五月の検診では、合計二一名について、尿中鉛量は最高が一リットル中一二・二マイクログラム、血中鉛量は最高が一〇〇グラム中一六・四マイクログラム、昭和四九年七月及び八月の検診では、合計一七六名について、尿中鉛量は最高が一リットル中二六・〇マイクログラム、血中鉛量は最高が一〇〇グラム中二四・〇マイクログラムであった。昭和四八年二月関西労働衛生技術センター(所長・原田章医学博士)による検診では、合計六一名について、尿中鉛量の最高は一リットル中八七・四マイクログラム(この人の血中鉛量は一〇〇グラム中一六・四マイクログラム)、血中鉛量の最高は一〇〇グラム中三七・二マイクログラム、尿中コプロポルフィリンの最高は一リットル中九九・四マイクログラム、昭和四九年七月の検診では、合計五一名について、尿中鉛量の最高が一リットル中四九・八マイクログラム、血中鉛量の最高が一〇〇グラム中二九・五マイクログラムであった。名古屋市大医学部公衆衛生学教室(奥谷教授)の昭和四八年一月の検診では、合計六九名について、尿中鉛量の最高は一リットル中三二マイクログラム、血中鉛量の最高は一デシリットル中二一マイクログラム、尿中コプロポルフィリンの最高は一リットル中九四マイクログラム、昭和四九年六月の検診では、合計五六名について、尿中鉛量の最高は一リットル中二二マイクログラム、血中鉛量の最高は一デシリットル中一五マイクログラム、尿中コプロポルフィリンの最高は一リットル中一一五マイクログラムであり、以上いずれの検診者も、他の各所見を総合して、被検診者全員を異常なしと判定した。
以上の事実によれば、被告の社員の中では、原告の他には四アルキル鉛中毒症に罹患している者はないと一応推認される。しかし、これは被告会社の各検診当時の通常の作業過程では右中毒患者が発生しなかったことを推認させるにとどまり、原告が被告の業務に従事していた際に加鉛ガソリンという原因物質が存在していたことは明らかであるから、その当時において何らかの原因で右患者が発生したであろう可能性までも否定するものではない(前記乙第一八号証の参考文献1には、「自動車にガソリンを充填している場所では、加鉛ガソリンが飛散したり、又、ガソリンが完全に蒸発した後では、周辺の大気中のアルキル鉛濃度は一時的に高くなる。ガソリン給油所の従業員は、給油所周辺の大気中アルキル鉛濃度が高いこと、又、シリンダーヘッド、クランクケースオイル、マフラーなどの粉じん、排気ガスから無機鉛が発生することにより一般人よりも鉛暴露が高い。また一部の給油所では作業者が車体のハンダにグラインダーをかける作業を行っている。このようなガソリン給油所従業員の調査が行われ、これらの人々の尿中鉛は一般人の正常範囲の中にあるということが観察されているが、ただ一部に、一般人の上限値(一リットルにつき三〇マイクログラム)の人があり、日常生活による鉛吸収以外に他の原因の鉛暴露が考えられる。」と記載されている。)。
三 次に、《証拠省略》によれば、東京労働基準局長は原告の労災認定について、昭和四六年一二月二〇日、労働衛生サービスセンター所長久保田重孝の意見を徴したうえ、①四アルキル鉛中毒に汚染する環境にあったことは否定できないこと、②精神、神経系統がおかされていること、③血中鉛、尿中鉛は鉛中毒の業務上外認定基準に達していないが、両下肢の不全麻痺等鉛の影響を否定しがたいこと、④真性癲癇、メニエル氏病、脳腫瘍は否定されていること、以上の理由をあげて、原告の疾病を四アルキル鉛中毒症と断定したが、同局内には、原告の従事期間及び作業環境から疑問視する意見もあったことが認められる。
四 そこで、以上の事実によって、前記の原告の症状が四アルキル鉛中毒症にあてはまるか否かについて判断する。原告の症状が、精神、神経症状を中心に、四アルキル鉛中毒症の症状の多くに一致していることは明かである。ところで、被告指摘の各問題点について、前記のとおり検討を加えたが、すべての疑問が完全に解明されたわけではなく、特に山村教授の報告及び所説は多くの点で、原告を四アルキル鉛中毒症と診断することに疑問を呈している。しかしながら、右の諸点について、山村教授の報告及び所説と異なる文献が一応の根拠を有して存するうえ、山村教授の報告及び所説そのものについて、必ずしも首肯し難い点があることも前記のとおりである。ある症状をいかに見るかについて、医学者の報告または所説が、かなりくいちがっており、反対の結論になることも見受けられ、定説を見出すことが困難な場合は屡々あるから、原告の症状または検診結果が一部の医学者の報告または所説と合致しないからといって、それだけで四アルキル鉛中毒症であることを否定するのは相当ではない。訴訟上の証明は歴史的証明であり、科学的証明ではないからである。
本件においては、前記のとおり、原告の症状は、精神、神経症状を中心に四アルキル鉛中毒症の症状の多くに一致しているのであり、これを四アルキル鉛中毒予防規則(昭和四七年労働省令第三八号)第二二条所定の特別健康診断の項目についてみても、いらいら、不眠、悪夢、食欲不振、顔面蒼白、倦怠感、頭痛、振顫、四肢の腱反射亢進、悪心、嘔吐、腹痛、不安、興奮、記憶障害等盗汗を除く神経、精神症状をすべて示しており、好塩基点赤血球数及び尿中コプロポルフィリンはいずれも陽性であることが明かであって、鑑別を要する癲癇、メニエル症候群については前記のように一応合理的な根拠に基づいてこれを排斥することができ、又、原告の症状を四アルキル鉛中毒症とすることについて山村教授が提起した疑問についても、同教授の所説と異なる文献により一応解明しうる以上、原告の症状は四アルキル鉛中毒症にあたると認めるのが相当である。
五 次に、因果関係について判断する。
被告が加鉛ガソリンを取扱っていたことは当事者間に争いがない。
《証拠省略》を総合すれば、次のような事実が認められる。
原告は、小学校時代から一貫して健康で、被告に入社する前には四アルキル鉛または加鉛ガソリンを扱う仕事に従事していなかったし、入社後も、被告のガソリンスタンドでの仕事以外で四アルキル鉛の暴露を受ける環境で生活していなかったし、被告が取扱うガソリンは一部を除いて大部分が加鉛ガソリンであった。被告のガソリンスタンドでの給油作業は、原告が従事していた当時には、給油ホースのノヅルが手動式であったため、作業員が給油口をのぞきながらタンク一杯に給油できたかどうかを確認するという方法によっていたので、特に給油口の小さい自動車等に給油する場合には、原告は、給油口からほとばしり出る加鉛ガソリンの飛沫を顔、身体、作業衣に受けることがあった。給油作業がいわゆるノンスペース式に変ってからも、給油ホースを上から引きおろす際に、前に給油したときにホースに残っていた加鉛ガソリンが落ちこぼれてくることもあった。そして、給油作業の際には原告が蒸発した加鉛ガソリンを吸入する機会が多かったし、又、原告がリフト室で自動車のエンジンのクリーナー作業に従事するときには、充満している加鉛ガソリンの排気ガスを吸入する結果となった。更に、原告は、被告のガソリンスタンドで業務に従事中、客に依頼されて行うタイヤのパンク修理の際にタイヤのチューブの汚れを除去するときや自動車の軽整備や部品工具の洗浄作業、洗車作業などのときに加鉛ガソリンを使い、しかもこれを素手で扱っていたうえ、手足など身体を洗うときも加鉛ガソリンを使ったことがあり、給油タンクに加鉛ガソリンを注入するときには、こぼれた加鉛ガソリンを素手で容器を使って汲み出すことが多く、また、給油タンクの貯蔵量を測定するとき、素手で検尺棒を扱い、ガソリンを客の注文と入れまちがえてこれを入れかえるときには、加鉛ガソリンの入った自動車の給油口に細いホースを入れて、そのホースを口で吸い、サイフォンの原理を利用して缶に取り出していたが、時には吸いすぎて、口の中に加鉛ガソリンが入った。被告は、ガソリンスタンドの従業員に防水性の手袋、保護衣は支給していなかった。以上の事実が認められる。証人樋口公一、同田中穂積は、被告の従業員が素手で加鉛ガソリンに接触したり、ホースを通じて口で吸うようなことはなかった旨供述するが、右各供述は、被告会社のたてまえとしてはありえない旨を述べただけで、原告の行動を常に観察していたわけではないから、前掲各証拠に照らしてそのまま採用することはできず、他に右認定を左右する証拠はない。もっとも、右認定事実中、通常の給油作業に従事中に受ける加鉛ガソリンの暴露ないし加鉛ガソリンの排気ガスの吸入はいずれも、被告のガソリンスタンドで給油作業に従事する者が同様に受けているものであり、前記のとおり、現在、被告の従業員には、原告以外に四アルキル鉛中毒患者が発生していないので、通常の給油作業過程で受ける加鉛ガソリンの暴露により四アルキル鉛中毒症に罹患する危険性は少ないと推認されるところから、これのみを重要視する必要はないと考えられるが、右認定の各事実からすれば、通常の給油作業過程で受ける加鉛ガソリンの暴露に加えて原告が加鉛ガソリンに対する危険性の認識不足のため(この点は後に詳述する。)、他の従業員と比較して、加鉛ガソリンとの接触に警戒心が薄く、日常の給油作業などで、他の従業員よりも加鉛ガソリンに直接接触する機会が多かったため、結果的には、他の従業員に比し、暴露を受ける量が多くなったものと推認することができる。
《証拠省略》によれば、四アルキル鉛中毒症の発生形態について次のような事実が認められる。
まず、四アルキル鉛そのものと加鉛ガソリンとでは、前者による例が圧倒的に多い。濃厚な原液を製造する工場、ドラム缶やタンク車に四アルキル鉛液を注入する作業、ガソリンへ混入する作業、運搬作業(船員を含む。)などの際に四アルキル鉛中毒症が発生している。加鉛ガソリンについては、貯蔵タンクの清掃、修理作業に発生例が多く、これはタンクの沈澱物の中に四アルキル鉛が濃縮して含まれているためである。ガソリンスタンドの従業員など加鉛ガソリンを扱う者についての報告例は少なく、赤塚教授が前記論文中において総括的に、「加鉛ガソリンに起因する四エチル鉛中毒として報告されているものを通読すると、いずれも不合理な使用をした場合に限られる。」と報告して、密閉した室内で冷暖房をし、同一空気が循環している条件下に使った場合機械洗浄の際に保護具を使わない場合、手指を洗うのに使った場合などに発症する可能性があり、その原因は警戒心がにぶるためであると指摘している。なお、原告と同様に、サイフォンの原理を使って誤飲し、発症した例もある。
以上の事実を総合して考えてみると、第一に、原告は約二年間、継続的に、自動車の整備、洗車、給油などで加鉛ガソリンを素手で扱い、手足を加鉛ガソリンで洗い、サイフォンの原理を使って誤飲したなど、加鉛ガソリンの直接の暴露を受けてきたこと、第二に、被告の従業員中には原告以外に四アルキル鉛中毒患者が発見されていないこと、第三に、過去の報告例でも、加鉛ガソリンを通常の取扱いの要領で使用しているときには四アルキル鉛中毒症の発生するおそれが乏しいことなどの点から判断して、原告は、被告のガソリンスタンドで、他の従業員と同様の通常の作業中に、四アルキル鉛中毒に到るほどの量の加鉛ガソリンの暴露を受けたのではなく、通常の作業過程で受ける暴露に加えて、前記のような通常では予想されない態様の不合理な作業内容によって四アルキル鉛中毒症を発生させるに足る量の加鉛ガソリンの暴露を受けたと推認するのが相当である。
以上のとおり、原告が四アルキル鉛中毒症に罹患しており、被告がその原因物質である加鉛ガソリンを扱っており、更に、原告は、その異常な使い方によるとはいえ、被告の業務に従事中に加鉛ガソリンの暴露を受けたのであるから、原告の本件四アルキル鉛中毒は、業務上の発病というべきである。
六 そこで、右発病に関する被告の責任原因の有無について検討する。
前記認定のとおり、原告は加鉛ガソリンに対する警戒心が不足しており、それは加鉛ガソリンの毒性を認識していなかったことによると推認される。
被告は、加鉛ガソリンという毒性の強い物質を扱う事業所で原告を含む労働者を使用する者として、業務中に、従業員の生命及び健康を害するおそれのある危険から従業員を守るように適切な配慮をする義務を負うものであることはいうまでもない。その安全配慮義務の内容として第一にあげるべきものは、労働者が加鉛ガソリンの毒性を確実に認識し、理解できるように教育することである。労働者が毒性を知っていれば、加鉛ガソリンとの接触換言すれば生命、健康に対する危険を避けるように自ら努めるのは困難ではないからである。そこで、加鉛ガソリンの毒性についての、被告の原告に対する教育のあり方がどのようであったかについて検討する。
原告庄司健嗣本人尋問(第一回)中には、右のような教育をほとんど受けなかったとして、請求原因4の(三)記載の主張にそう供述部分がある。
いずれも成立に争いのない乙第五号証、第六、第七号証の各一、二、第八、第九号証、証人樋口公一、同田中穂積の各証言によれば、被告は、昭和三七年頃から毎年四月に新入社員を本社に集め、約一週間の日程で教育し、その後配属先の支店、サービスステーションでも教育し、その内容となるテキストは、使い始めた時期には多少ずれがあるが、被告作成の「社員ハンドブック」「明日への手引」「S・S問答集」、共同石油株式会社発行の「プライマリーコース」「石油製品知識」、石油経済研究会発行の「石油便覧」などであり、更に、危険物取扱主任者の免許を原告や他の従業員に取得させるため、東京消防協会発行の「実務テキスト」を使って受験勉強をするように指導していたこと、右の各テキストはサービスステーションにまとめておいてあること、原告のような途中入社者に対しては、本社での教育に代わるものとして、配属先のサービスステーション所長が右のテキストによって指導することになっていたことが認められる。
右両証人は、新入社員の教育には、加鉛ガソリンの毒性の問題も含まれていたと供述するが、そのような教育がどれほど徹底したか、特に原告に対して教育効果があったかについてはかなり疑問である。まず、右の各テキストの内容は、商品としてのガソリンの知識、ガソリンの販売方法についての記載が圧倒的に多く、加鉛ガソリンの毒性に関する記載は、「S・S問答集」の六頁、「プライマリーコース」の二八頁、「石油便覧」の一四八頁、一七七頁、「実務テキスト」の一三六頁にあるが、それらの記載は、おおむね、オクタン価向上剤としてガソリンに添加される四エチル鉛等は強い毒性を有するので、添加量が規格で定められていて、誤用を避けるため着色されており、自動車以外の用途に使用することは避けなければならない旨が記述されているに止まり、その毒性の程度、中毒症状、取扱上注意すべき点についての記述は全く欠落しているのみならず、その記載の位置、分量からみて、重要性の比重は右商品知識などよりも非常に低く、毒性を強調しているとは到底いえないし、仮に右の各テキストを全部通読しても、各従業員に加鉛ガソリンの毒性が銘記されるか否かは疑わしいといわなければならない。次に、被告の社員教育は、四月の新入社員に対するものが中心であり、その後の教育や、原告のような途中入社の者に対する教育が現実にどのようになされたのかは明らかではなく、原告に対する教育についての右両証人の供述は間接的で、具体性がなく、しかもあいまいであり、右テキスト内容と相まって、原告に対し加鉛ガソリンの毒性について徹底した教育がなされたとは認められない。
従って、原告の右の点についての供述は大筋で信用できるというべきで、原告が加鉛ガソリンの毒性について認識不足であったのは、被告の教育が十分でなかったことによると推認できる。
次に、原告の発病前の時期に、被告が従業員に対し定期的な四アルキル鉛中毒症についての特殊健康診断を実施していなかったことは当事者間に争いがない。
右のような健康診断の実施が望ましいことはいうまでもないが、しかし、被告の通常の業務過程において一定の蓋然性で四アルキル鉛中毒症が発生することが予見されるのであれば、右健康診断の実施が必要であるが、本件は原告が通常あまり予想されない方法で加鉛ガソリンの暴露を受けた結果発生したのであるから、このような発生を防止するには、健康診断よりも、前記の毒性に関する教育が格段に有効であるし、原告の発病の原因となった暴露の時期及び態様、すなわち少量ずつ長期であったか、かなりの量が短期間であったのかは必ずしも明らかではなく、従って、ある時点で健康診断をして、血中鉛量、尿中鉛量の増加が認められて、適切な措置をとることによって、発病または重症化を防ぐことができたか否かは明らかではなく、健康診断の欠如が原告の発病と因果関係があるとすることについては疑問があるから、前記健康診断をしなかったからといって被告に安全配慮義務違反があったとは断定できない。
更に、原告らは他にも安全配慮義務違反を主張するが、前記認定の発病過程、他に中毒患者が発見されていないこと等に照らし、右義務違反及びそれと原告の発病との間の因果関係を認めることはできない。
以上のとおり、被告の安全配慮義務違反の内容となるのは、原告に対し加鉛ガソリンの毒性を周知徹底させる教育をすることが不足したとの点であったと判断するのが相当である。
従って、被告は、原告らに対し、民法第七〇九条、第七一〇条により、原告らの被った損害を賠償する義務がある。
七 原告らの損害額について検討する。
1 原告庄司健嗣の逸失利益
原告らは原告庄司健嗣が一〇〇パーセント労働能力を喪失したと主張するので、まずこの点について検討する。
発病から昭和四六年までの症状は前記認定のとおりであり、その後の経過については、《証拠省略》によれば、おおむね次のとおりであることが認められる。
昭和五〇年には、言語障害はかなり改善され、足の脱力も改善され、頭痛はかなりやわらぎ、見当意識を失うことはなくなったが、ロンベルク症状は残っており、歩行は正常に戻っていなかった。山田医師は、右の状況について、小康状態を保っているだけで再発のおそれがあり、症状を飛躍的に改善できるような治療方法は考えにくく、社会的に責任をもって仕事をすることはできないものと判断した。昭和五三年には頭痛、不眠、怒りっぽい点等の諸症状が残っているが、麻痺はかなり改善され、程度は軽くなってきた。
《証拠省略》によれば、四アルキル鉛中毒患者の症状について、急性中毒は発病後短時間で死亡する例が多く、急性でないものは治癒し、後遺症もあまり残さない例が多く、その中間にあって、死亡を免れたが、長く後遺症を残す場合は少ないとの臨床例が各種医学文献に報告されたこと、これは四アルキル鉛または加鉛ガソリンの暴露を受けた状況が異なるための差異であるが、それだけでなく、暴露を受ける者の個人差によって、同様の状況で暴露を受けた一群の患者の中にも重症で死亡する場合と軽症で完治する場合とが併存していること、右各報告の中で、同様の状況で暴露を受けて発病した多数の患者について比較的長期間にわたって観察した前記市川は、前記ガソリンタンク清掃作業員の中毒罹患事例で、作業日数は、短い者が一日、長い者が一九五日で、長い方が重症になる傾向があるものの、作業開始の六か月後になって急に多数の患者が発生しているので、作業日数と症状との因果関係は一義的に明らかではないため、死亡者六名を第一群、それ以外の者を意識障害の有無などを基準に第二群、第三群に分類し、死亡しなかった第二群、第三群の患者は発病後六か月の時点では何らかの後遺症を残しており、更に第二群に属する患者のうち、観察を続けることができた例では発病後二年を経過しても後遺症を残し、労働意欲に乏しく、無為にすごすか、就労しても長続きしない状態にある、との結論を得たこと、以上の事実を認めることができる。
原告庄司健嗣の現在の症状は、右認定事実によれば、原告庄司健嗣が見当意識を失なったり、記憶力、記銘力が低下するなどの意識障害をおこしている点に鑑み、市川報告の分類中の第二群にあてはまることになり、後遺症がかなり長く残るおそれが強いものと推認することができるものの、それがどの程度の症状でどの程度の期間にわたって続くかは、しかく明確ではない。
この点につき、原告らは、原告庄司健嗣において昭和五〇年以降も労働能力を一〇〇パーセント失っていることを前提として損害額を主張しているが、《証拠省略》によれば、原告庄司健嗣は、昭和四六年二月一二日氷川下セッツルメント病院に入院するまでは、入院加療等により欠勤したのを除いては、継続して、被告に勤務していたことが認められ、このことと、前記認定の症状からすれば、原告らの主張はたやすく採用し難い。
しかしながら、前認定の諸事実、昭和四六年以降の原告の症状の変化、労働者災害補償基準など諸般の事情を考慮すれば、原告は、加鉛ガソリンの暴露を受けなくなってから二〇年を経過するまでの間、従って昭和五〇年から昭和六六年までの一七年間を通じて平均労働能力の四〇パーセントを喪失したものと推認するのが相当である。
《証拠省略》によれば、被告は原告庄司健嗣に対し、昭和四九年三月分として、八万四三〇〇円(内訳は、労災保険に基く休業補償給付金会社立替分四万〇九五七円と生活補助のための貸付金四万三三四三円)を支払ったことが認められるが、これが原告庄司健嗣の月額賃金相当額であることは被告の自認するところである。
次に、被告において昭和四九年四月一日に平均三〇パーセントの従業員賃金の昇給があったこと、被告は従来少なくとも年間五か月分の一時金を支給していたことは当事者間に争いがないから、同年の賃金、一時金相当額の合計は一七八万七一六〇円となる。
ところで、原告らは昭和五〇年以降毎年一〇パーセント賃金が上昇すると主張するが、このような高率の賃金上昇は高度経済成長期の現象で、昭和四九年の前記賃金水準の上昇はいわゆる石油ショックによるインフレーションによってもたらされた例外であり、昭和五〇年以降の賃金上昇率は毎年鈍化の傾向にあることは公知の事実であるから、今後恒常的に年一〇パーセントの上昇があると認めることはできず、昭和六三年までの間には原告庄司健嗣については多くとも月額一万円年間一七万円の賃金上昇が毎年続くに過ぎないものと認めるのが相当である。以上により昭和四六年を基準として昭和五〇年から昭和六六年までの原告庄司健嗣の逸失利益の現価を計算すれば別表(三)のとおりである。
2 原告庄司健嗣の慰謝料
前記認定の症状、被告の責任原因に併せて、本件発生の原因につき、被告の教育不足はもちろんであるが、原告庄司健嗣も加鉛ガソリンの取扱いに慎重さを欠き、特に誤飲したこともあるなど異常な使い方をした結果一人だけ発病するに至った点などを考慮すれば、同原告に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。(以上の原告庄司健嗣に生じた損害についての判断は、被告の労働契約上の安全配慮義務違反により同原告に生じた損害についても同様である。)。
3 原告庄司順子の慰謝料
前記認定の諸事実に徴すれば、同原告に対する慰謝料は一五〇万円をもって相当とする。なお、原告庄司順子の看護料の請求は、原告庄司健嗣の四アルキル鉛中毒症に対する昭和五〇年以降の加療は入院を伴なうものとは認められないから金銭的損失として評価できないし、慰謝料算定の一要因として考慮すれば足りるから、失当である。
4 弁護士費用
本件の事案、内容、審理経緯など諸般の事情に照らし、弁護士費用として、原告庄司健嗣については一八〇万円、原告庄司順子については一五万円がそれぞれ被告の前記認定の行為と因果関係があると認めるのが相当である。
八 以上の次第で、被告は、原告庄司健嗣に対して本件損害賠償として、右の合計金一九六六万八九八三円及び内金一七八六万八九八三円に対する昭和四九年(ワ)第六〇三二号事件の訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年八月二九日から、内金一八〇万円に対するこの判決確定の日から各支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告庄司順子に対して右の合計金一六五万円及び内金一五〇万円に対する昭和五〇年(ワ)第八五七号事件の訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年三月五日から、内金一五万円に対するこの判決確定の日から各支払済まで右割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山口繁 裁判官 遠藤賢治 佐藤道雄)
<以下省略>